【名著】星の王子さま|サン=テグジュペリ 多忙・疲労・孤独…。あらゆる悩みに効く、究極の哲学寓話

お悩み

本日はフランスの作家、サンテグジュペリの星の王子さまを紹介いたします。どんな作品かと言いますと人生のあらゆる悩みに答えてくれる20世紀、フランス文学を代表する世界的名著です。特に人と関係を築くことに苦手意識のある方、毎日忙しすぎて、心に余裕がなくなっている方、自分の人生の
方向性が定まらず、本当にこのままでいいのかと、迷っている方にぜひ手に取っていただきたい一冊です。

また1943年に発表されて以来、世界の総販売部数はなんと2億冊を超え、さらに戦後のベストセラーランキングでは聖書とマルクスの資本論に次いで、第3位につくなど、未だに驚異的な人気を誇っています。一体、なぜ星の王子様はこんなにも多くの人から長く愛され続けているのでしょうか?

その 大きな理由の一つはこの作品がただの児童文学ではなく大人になればなるほど、味わい深くなる哲学的な寓話だからです 。

 

しかしその一方、子供向けだと思って読んだけどとても難しかったとかあらすじは知っているけど 何がそんなに面白くて、どこがためになるのかがいまいちよくわからなかったとか、苦戦される方も非常に多いと言われています。

そこで今回はこの名作のストーリー だけではなくその背景についても考察をしながらなるべく皆さんの実生活に役に立つような解説をしていきたいと思います。

一つ目のテーマは、心に余裕がない大人です。僕は、ジャングルの冒険をたっぷり想像して初めての絵を描き上げた。僕の作品の第1号だった出来上がった傑作を大人たちに見せて、怖いかどうか尋ねてみた。すると大人たちはこういった。どうして帽子が怖いんだい。でもこの絵は帽子じゃなかった大きな蛇がゾウをお腹の中で消化しているところだったんだ。だから僕は大人たちにも、わかるように蛇の内側を描いた。

 

あの人たちにはいつも はっきりとした説明をしないとダメなんだ。作品第2号はこんな感じだった。けれど大人たちは 蛇の内側も外側もどうでもいい。そんな絵なんか描くのはやめて、地理や歴史、算数や国語の勉強をしなさいと言いつけた。 こうして僕は 6歳で絵描きになる夢を諦めたんだ。

 

この物語は主人公の男性が大人たちの言動によって、夢を打ち砕かれるという幼年時代の回想から始まります。そんなことをしても、学校の成績は上がらない、将来何の役に立つというんだこういった
心ない言葉によって大人が子供の夢や可能性を奪ってしまう。これは現実社会ではよくあることです。

 

もちろんサンテグジュペリは 単純に大人という存在を否定しているわけでもなければ1枚目の正解を読者に当てて欲しかったわけでもありません。 本当に大切なことは目に見えないというこの作品のキーメッセージを冒頭に伏線として貼っているわけです。その後、絵描きになることを諦めた主人公は 飛行機の操縦士となったのですがある時、エンジントラブルでサハラ砂漠に墜落してしまいます。

 

すると目の前に金色の髪の小さな王子さまが現れ、羊の絵を描いてほしいと訴えてきます 。状況がつかめないまま、男は羊を書いてみせるのですが、王子はそれに満足せず何度も書き直しを要求します。最終的に3つの穴が空いた小さな箱の絵を書き、この中に羊が入っていると説明したところ、こういうのが、欲しかったんだとようやく笑みを浮かべます。

話を続けていくと男は状況がつかめてきます。この目の前にいる小さな王子は、地球人ではなく、遠い小惑星からやってきた。そこには バオバブという木が生えており、成長すると星が破裂してしまうので、王子はそれを食べてくれる羊を求めていた。

だから彼は何度も何度も男に羊の絵を描いてほしいと訴えていた。現実的な大人の視点に立てば、飛行機が墜落し、砂漠で遭難しているというこんな緊急事態にいきなり知らない子供から、絵を描いてくれと言われても、今はそれどころじゃないと言いたくなるかもしれません。

しかし蓋を開けてみればそんなどうでも良さそうに思えることが、実はどこかの星の生命に関わる重大なことだったのです。さらに王子は 、羊は棘のあるバラを食べることもあるのか?もしそうだとすれば花のトゲは何のためにあるのかとまたどうでも良さそうな質問を続けます。すると操縦士の男は 飛行機の修復作業がスムーズに進まないことにイライラしながらこう言いました 。トゲなんて何の役にも立たない。単に花が意地悪なんだよ!!この返答に対し王子は驚き、黙り込み、そしてショックを受けている様子をあらわにしました。それを見た男は慌てて弁明をします。

違うんだ。僕は今、君に適当なことを言った。そんなことよりももっと大事なことがあるんだよ、すると王子はもっと大事なことって何なの?あなたは大人みたいなことを言う人だ。全部ごちゃ混ぜにしている。そう言って怒り泣き出してしまいます 。彼らは故郷の星には 美しい一輪のバラの花が咲いており王子はそれを宝物のように大切にしてい ました。

だから彼は羊がバオバブだけではなくバラまで食べてしまったら大変だと心配していたため 、あのような質問をしたのです。ところが操縦士の男はそれを直感的に重要ではないと判断し特に悪気もなく適当な返事をして、王子を傷つけてしまいました。ではなぜこういったトラブルが起こってしまったのでしょうか?いくつかの要因が考えられますがここでは2つ挙げておきたいと思います。



まず1つは 操縦士の心に余裕がなかったという点です。人は何かに忙殺されると相手の表情、声のトーンや仕草あるいは相手の言葉の背景にある情報や感情などへの配慮を忘れ表面的な言葉だけで機械的なコミュニケーションを取りがちです。ところが彼はどんな緊急事態でも平常心が求められる操縦士という立場でありながらそのミスを犯してしまったのです。

当時現役のパイロットであったサンテグジュペリは 心の余裕がなくなると人間は冷静な判断力も豊かな想像力も失い、悪循環に陥ることをよく理解していました 。そのため彼は二人のミスコミュニケーションの中に現代の大人たちのせわしなさや、心の余裕のなさを表現したかったのかもしれません。

 

そしてもう一つの要因はこの操縦士の男が子供の頃の純粋な心を失いかけているという点です。 冒頭にあったように 元々彼は 想像力が豊かな子供でした。ところが成長とともに子供の心を忘れていき 気がつけば幼少期に自分を傷つけたと想像力のない大人に近づいていたのです。そうした中 、純粋な子供の心の象徴である王子が現れると、操縦士の男は 余計な一言によって 彼の逆鱗に触れてしまいます。しかし、よくか悪くかそのトラブルが刺激となり 男は徐々に子供時代の心を取り戻し始める
というわけです。

 

このやりとりが終わると、王子が地球にやってくる前の回想シーンがしばらく続くのですが、そこで彼は自分の薔薇のことについて語り始めます。彼のバラはプライドが高くよく自分のトゲを自慢したり 、寒いから 、覆いをかけてほしいと言ったり何かと要求が多く、さらに気まずくなるとよく咳をして 本音をごまかすという実に人間らしいキャラクター設定になっています。

ちなみにこのバラのモデルはサンテクジュペリの妻コンセロと言われているのですが、バラのイメージをガチッと固定する必要はありません。 自分にとって愛するものというようにバラ の定義をあえてぼやっとさせて想像力が働く余白を残しておくとより深く作品を味わうことができます。

 

さて王子はそんなバラのことを愛していたのですが、 次第に彼女の言葉が信じられなくなり 、星から離れることを決意します。そして出発の日に彼は惑星の火山の煤をきれいに払い、最後にもう一度バラに水を与えました。

さようならそう言うとバラは小さく咳をし て、自分がバカだったと謝り、王子を愛していたことを告白します。そして、自慢の4つのトゲを見せ私はこれがあるから一人でも大丈夫。さあ行きなさいと 精一杯の強がりを見せ、王子を見送ることになるのです。いやいや、この流れで仲直りをしてハッピーエンドでいいじゃないか?なんで王子はバラを置いて、星を出て行ってしまうんだ。もしかしたら そう思う人もいるかもしれません。

結論から言いますとこの時の王子はまだ愛とは何だろうか。愛するとはどういうことなのかを知らない状態であったため、現実から逃げるという幼い選択肢しか残されていなかったのです。

そこで作者であるサンテグジュペリは、あえて小惑星にバラを残した状態で王子を旅立たせ様々な経験を通して、愛を学ばせようとしたというわけです。

 

さあ、ここからいよいよ王子の冒険が始まります 。果たして彼はこれからどんな経験をし、どんな気づきを得て成長していくの でしょうか。

 

というわけで2つ目のテーマ 星めぐりの教訓に進んでいきたいと思います。では行きましょう小さな 王子は、自分の知らないことややるべきことを見つけるためにいくつかの小惑星を訪ねた。最初の星は王様の住んでいる星だった。

王様は、真っ赤な衣と白い毛皮をまとっていて、シンプルな椅子に堂々と腰をかけていた。王様は王子を見るなりこういった。なんと私の家来がやってきたすると王子はこう思った。なぜ初めてあった僕のことを家来だと思うのだろう。

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まず王子が出会ったのは王様でした。彼は自分自身を絶対的な存在だと信じ発する言葉一つ一つが命令口調という少々癖のあるキャラクターになります。しかし、表面的には立派でも王様は無力で、孤独な存在でした。なぜなら、彼の住む星には彼一人しかいなかったからです。どんなに見た目が立派でどんなにお金や権力があってもそれだけで人は、自分の心を満たすことはできません。このサンテグジュペリが描いた王様は人を上から見下ろしてるようにも見えますが、それと同時に 寂しくうつむいてるようにも思えます。

この王様のもとを去った後、王子がたどり着いたのは うぬぼれやが住む惑星でした。 彼は小さな王子を見る、やや遠くからこう叫びました。ほほう、私のファンがやってきたぞ、この男は初対面の王子に対し私に拍手をしてくれと言ったり自分を心の底から称えなさいと言ったりなぜか称賛を欲しがりました。

 

讃えるとはどういうことなのか?王子がそう聞くとうぬぼれ屋はこう言いました。この星で私が 一番ハンサムで一番おしゃれで一番お金持ちで一番賢い人間だと認めるんだ。これに対し王子はいやでもこの星には君しか住んでいないじゃないかと正確なツッコミを入れます。\

 

すると男はこう叫びます。お願いだとにかく自分を讃えてくれ。彼は孤独をこじらせ、うぬぼれる以外に自分を保てなくなった人間を象徴しています。だから、心がこもっていなくても、たとえ嘘であっても、自分の寂しさを埋めてくれる言葉が欲しかったのです。お願いだ、とにかく自分を称えてくれそう叫ぶ声は称賛ではなく、むしろ救済を求めていたのかもしれません。

うぬぼれやの星を旅立つと次に王子が出会ったのは飲んだくれのおじさんでした。なぜお酒を飲むのかと聞くとおじさんは恥ずかしさを忘れるためだと言います。何がそんなに恥ずかしいのかと聞くと 飲むことが恥ずかしいと答えそのまま黙り込んでしまいます。

恥ずかしいからお酒を飲んでいるのにお酒を飲むことも恥ずかしい。そして、どんどん恥ずかしくなってまたさらにお酒を飲む。まさに悪循環です。もしかしたらこの飲んだくれのおじさんは、生きる意味を見失い、現実逃避している人間の姿なのかもしれません。

 

そして4つ目の星で出会ったのが、多忙なビジネスマンでした。来客中にもかかわらず、その男は顔すらあげず一生懸命に何かを計算していました。話しかけてみると 、彼は天空の星を自分の所有物にするためになんと一つ一つの星を数え上げそれを延々と足し算していたのです。そんなことをして、何になるんだ。誰もがそう指摘したくなる場面ですがここには物欲や所有欲に支配されることを愚かさやおかしさが表現されています。

そんなたくさんの物を欲しがっている男に対し、王子は次のような質問をします。僕はバラを持っていますが、毎日水をあげています。また火山も持っていますが 、毎日掃除もしています。何かを持つということはそれをいつも気にかけ、その者たちの役に立つということだと思います。けれどおじさんは自分の所有物である星を数えているだけでその星たちに何か役に立つことをしたんですか?すると男は何も返す言葉が見つからず 、黙り込んでしまいます 。

 

ビジネスの目的は最終的に多くのものを所有することなのか、それとも誰かの役に立ちお互いに幸せになることなのか、このように王子は無邪気に内省を促すような言葉を放ち 次の星へと旅立っていきます。

 

5つ目の星で出会ったのは、街頭に明かりを灯す点灯係の男でした。こんな場所で明かりを灯して何の意味があるんだろうけど、この人はさっきまで会ってきた大人たちとは何かが違う。きっと誰かの役に立つことをしているんだ。そう思った王子が点灯係に挨拶をし、なぜ明かりをつけているのかと尋ねます。すると男は命令されているからだと答えます。この星は1日が24時間ではなく1分で過ぎるため休むことなく点灯と消灯を繰り返さねばなりませんでした。 休みたい、眠りたいいつもそう願っていた点灯係の男は、徹底的に管理され 、過酷な労働を強いられる。自由なき労働者のシンボルだったのかもしれません 。王子はそんな真面目な点灯係を好きになりました。そして誰かのために一生懸命に働いている彼となら友達になれるかもしれないと思いました。

しかし、この星は2人の人間が暮らせるほど、スペースに余裕がなかったため、王子は残念そうにその場を後にします。

 

そして 6つ目ので出会ったのが分厚い本を眺めている学者でした。彼は、海 、川といった地理に詳しく自分が物知りであることを誇らしげに語ります。ところが、この星に海はありますか?山はありますかと、王子が興味津々に訪ねても学者の男はわからないとしか答えません。なんと彼は自分の部屋に引きこもり、ただ人から聞いた知識を蓄えているだけで、自ら体験しようとしない学者だったのです 。

 

このように王子は6つの星をめぐり6人の個性的な大人たちと出会ったわけですが 、彼らには全員、孤独という共通点があります。友人もなく、共同体にも属さず世界ともつながらず 、星の中でたった一人で暮らしている。こういった大人たちの姿は 近年ますます深刻化している。 社会的孤立の実態を浮き彫りにしています。

先ほどの6名がどのように自分の孤独と向き合っていたのかその態度を整理すると次のようになります 。要はつながれない寂しさを服従や支配によって叶えようとしうぬぼれ屋の男は称賛の言葉で 自分の孤独を癒そうと試み 、飲んだくれの男はお酒という手段によって現実から目をそらし 、孤独を紛らわしていました。また 、ビジネスマンはたくさんのものを所有することで、満たされない心を満たそうとし、休まず働く点灯係の男はあまりに疲れすぎて 、自分が孤独であることにすら気づいてい ませんでした。最後に登場した地理学者は一見しますと 膨大な知識によって世界とつながっている賢者のようにも思えます。しかし、彼は第三者というフィルターを通してしか世の中を見ようとせず能動的に世界と関わることを拒絶していることから自分の殻に閉じこもっている人といえます。

王子はこの6つの星めぐりで出会った人 たちに違和感を覚え 、変な大人だと表現するのですが、それは彼が特別優れた存在でこの大人たちがみんなダメだという単純な二項対立ではありません。

王子も薔薇との関係構築に失敗したった一人で 広い宇宙をさまよう孤独な人間の一人なのです。ただ彼と大人たちを決定的に隔てているのは、自ら世界や人と関わろうとする姿勢です。 つまり 物語の中で王子が一貫して示している。 能動性こそが孤独という問題を解決するヒントになっているのです。そしてついに彼は、地理学者の導きによって 、7つ目の星地球にやってきます。そこは先ほどであったような大人たちが大勢住んでいる巨大で不思議な惑星でした。

果たして彼は 地球でどんな気づきを得て自分の星へと帰っていくのでしょうか?というわけで3つ目のテーマ 断ち切ってはいけない絆に進み、王子の最後の冒険を見届けたいと思います。

 

王子は高い山に登った。これまで知っていた山といえば高さが膝までしかない3つの火山だけだった 鋭く尖った岩山を見つめ王子は叫んだ。こんにちはー 誰か友達になってよ。 僕はひとりぼっちなんだ。 長い間、歩き続けていると王子はようやく1本の道にたどり着いた。まっすぐ進んでいくとそこにあったのは、バラの花が咲き揃う庭だった。こんにちは、君たち名前は何て言うの ?花たちは一斉に薔薇だと答えた。すると王子は、途端に自分が惨めに思えてきた。こんなのを見たら、 僕のバラは
ショックで枯れてしまうかもしれないな。 それに、僕はこの世でたった一つのバラを持っている。だから 、僕は豊かなんだとそう信じていたのに、でも本当はありきたりのバラだったんだ。そう 言って王子は草むらに伏して、涙を流した。

 

孤独を感じていた王子がたくさんのバラを見た途端情緒が不安定になり、 涙を流すという場面でした。さてこれは一体どういうことなんでしょうか?この時の王子の涙の意味や心情を理解するにはアイデンティティという概念を押さえておく必要があります 。アイデンティティとは一般的に自己同一性と呼ばれ、すごく簡単に言えば、 自分らしさとか自分が自分であることを意味します。これが確立されていると物事を主体的に選択できるようになるため 、自分の人生の指針を築きやすくなるのです
が一方でアイデンティティが確立されないと無力感に襲われたり自己嫌悪に陥りやすくなると言われています。ただアイデンティティは人間に元々備わっている感覚ではなく、自分とは全く異なる他者あるいは、社会から認められるというプロセスを経て徐々に形成されていくものになります 。王子の場合であれば 自分は世界でたった一つのバラを持っているということが、自分らしさを形成し自分を支える根拠となっていたのですが、大量のバラが存在しているという現実がそれを容赦なく破壊した のです。これはもちろん人ごとではありません。人間は大人になっていくにつれて、世界が広がり、 関わる人も増え、そのたびに私なんて全然大したことないじゃないか? 自分の代わりなんていくらでもいるじゃないかと無力さやみじめさを味わうものです。

 

つまり 草むらに突っ伏して泣いている王子は自分のアイデンティティが崩れ去る痛みに泣いているのであり、それは同時にアイデンティティの形成に必要な他者や世界とのつながりを失いつつある 。今日の人間の姿を映し出しているわけです。

果たして彼はこの危機的状態をどのようにして脱していくのでしょうか?

 

キツネが出てきたのはその時だった。こっちに来て一緒に遊ぼう。僕は今とても寂しい気持ちなんだ王子がそう言うと、キツネはこう言った。君とは一緒に遊べないよだって僕と君はまだアプリボアゼしてないじゃないか?

寂しくて仕方がなかった王子はキツネと友達になろうとしますが、なんとアプリボアゼしていないという理由で断られてしまいます。アプリボアゼ聞き慣れない言葉ですがこれはフランス語で飼いならすとか、馴染みになるという意味なのですが、ここではシンプルに愛情の絆を作ることだとご理解ください。

その上でキツネはアプリボアゼについて次のように説明します。僕にとって君はたくさんいる男の子の中の 一人でしかない。君がいなくても、僕は構わないし、君だって僕がいなくたって構わないだろう 。だって君にとって僕はたくさんいるキツネの中一匹なんだからけど絆ができればそうじゃない 僕らはお互いが必要になる。

君は僕にとって世界で一人の男の子になるし、 僕は君にとって世界で一匹の狐になるんだ。でもアプリボアゼするには、辛抱がいる最初は僕から離れて座るんだ 。僕が君を横目で見ても君は何も話しちゃいけない 。言葉はいつも誤解の元なんだ。そしていつも決められた時間にやってきてほしい。そうすれば 、僕もワクワクするしその時間がやってくるのが楽しみになる。

けれど 、君が毎回適当な時間に来てしまえばいつも僕はそわそわして心が休まらない。つまり 、決まりごとがいるんだよ。

 

一つ一つのセリフは可愛らしいのですがその内容は哲学的でとても示唆に富んでいます。 言葉はいつも誤解の元とあったように、言葉は人によって様々な解釈が可能であり、 たまに嘘が混じるものですこれに対し行動は何らかの目的があって、行われるので言葉よりも嘘が混じりにくく一つ一つの振る舞いを見れば、その人の本性が見えやすいと言えます。

 

そこでキツネは 愛情の絆を結ぶには言葉よりも行動を重視しなければならないこと、そして、その行動には常に相手への配慮と忍耐が求められることを教えてくれたのです。これによって王子はこれまで自分がバラの言葉ばかりに注目し行動に目を向けてこなかったことにハッとさせられます。

そして、 彼女が心地よい香りで包んでくれたこと明るい気持ちにしてくれたことなどを思い出し、それが自分への 愛情表現だったんだと気づくわけです。 そして王子はキツネからもう一度バラ園に行くことを勧め られると、 素直にその言葉に従います。しかしどのバラを見ても先ほどのように心が揺れ動くことはありませんでした。なぜならそこには、王子と愛情の絆によってと呼ばれたバラが 一輪も咲いてなかったからです。そして王子は自分の薔薇は 、世界で唯一の薔薇ではなかったけれど 自分にとっって唯一無二の薔薇だったんだと認識を改めることで再び心のよりどころを取り戻し、崩れかけたアイデンティティの再構築に成功するのです。

 

そしてめでたく友人となったキツネは 、王子との別れ際にこんなメッセージを送ります。大切なものは目に見えない心で見るんだ。これまで君がバラに与えた時間が君のバラを特別なバラにしたんだ。人間は そんな大事なことを忘れてしまったけど君は忘れちゃいけない 。君が時間をかけて愛情の絆を作ったのなら、君はそれに責任を持たないといけない 。君は自分のバラに責任があるんだ。

 

大切なことは目に見えない 心で見るんだとありました。これについては、様々な解釈ができますがここでは 薔薇と王子との関係性に焦点を当てたいと思います。つまりバラの美しさとか珍しさとか、 表面的なものを見て、そこに価値があると思ってはいけません。これまであなたが自分の薔薇に対し 水をあげたり、覆いをかぶせたり、 話を聞いたり、たくさん時間をかけてきたでしょうとそうやっ城城築あげてきた、バラとの関係性こそ王子にとって本当に大切なものであってその価値は心でしか感じ取ることができないというわけです。もちろんここでのバラを恋人とか愛する人だけに限定する必要はありません 。なぜなら 、愛情の絆を結ぶことができる対象は人間だけではないからです。

 

例えば音楽を奏でたり、絵を描いたり、踊ったりすることで 、自分自身を表現する人がいるように人は何かをするという行為それ自体を愛することができます。ところが人は大人になっていくにつれて 良くも悪くも現実を知るようになります。

そして人より上手にできないとかお金が稼げないとか忙しいからとか様々な理由をつけて、愛する者との関係性を断ち切ってしまうのです。 愛情の絆を断ち切ることは 精神的なよりどころをなくすことであり、それはすなわち自分のアイデンティティを危機に陥れることを意味します。そうやって多くの人間たちが、愛情の絆をないがしろにし疎外感や無力感に苦しんでいることをキツネは理解していました。

 

だから彼は王子に対し人間たちは忘れてしまったけど、 君は忘れちゃいけない 。君が時間をかけて愛情の絆を作ったのなら、 君はそれに責任を持たないといけないと訴えたわけです。つまり、自分が愛する者に責任を持つことは自分を 愛し自分の人生に責任を持つことであるのです。このようにして 王子の長い回想シーンが終わると物語は冒頭に登場した操縦士との場面に戻ります。

 

そして二人は砂漠の中の井戸を探すというプロセスを経てめでたく友人となります。その後、王子は バラに対する責任を果たすため故郷の星に戻ろうとしますが、あいにく帰るための手段がありません。そこで彼は毒蛇に足首をかみつかせ自分の肉体ではなく、 魂によってバラの待つ星へと帰っていくのです。 素直に解釈すればこれは肉体の消滅、すなわち死でありとても悲しい出来事に思えます。

 

ところがこの物語は 王子がいなくなっても、不思議なことに悲壮感も後味の悪さもありません。なぜこんな現象が起こるのか?もしかしたらそれは私たち読者が王子によってアプリボアでされているからなのかもしれません。つまり彼と共に冒険をし大きな壁を一緒に乗り越えたり 、同じ 感情を共有したりしているうちにいつの間にか私たちは 彼を好きになり 絆が結ばれただから王子が目に見えなくなっても 、心に気づかれた彼との関係性の中に、その姿をはっきりと感じ取ることができるわけです。もしかしたら王子はこの広い星空のどこかで自分に笑いかけているんじゃないか?またいつかどこかで会えるんじゃないかそんな希望をかすかに残しながらこの物語は締めくくられるのですが、実はもう1ページめくると操縦士の男から私たち読者へあるメッセージが記されています。そこには大切なものは目に見えないという作品のキーメッセージを最後にもう一度伝えるんだというサンテグジュペリのこだわりと遊び心が表現されています。

 

それではその パートを読み上げて終えたいと思います。

 

これが僕にとって、世界で一番美しく一番切ない風景なんだ、前のページと同じ風景なんだけどもう一度君たちによく見てほしいと思って、書き直してみたんだ。小さな王子はここで地上に現れそしてここで消えてしまった。いつか君がアフリカの砂漠を旅する時、この場所がちゃんと分かるようにしっかりとこの景色を目に焼き付けてほしい。そしてここを通ることがあったらお願いだから先を急がずに星の真下で少し待ってみてほしいんだ。もし、その時一人の男の子が近づいてきて、からからと笑い、金色の髪を揺らし、 質問をしても何も答えなかったらそれが誰だか、君にはわかるだろうそしたら、すぐに僕に手紙を書きどうか教えてほしい。

あの子が帰ってきたよと・・・

 

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