ふと気がつくと、私たちは様々なものにがんじがらめになって生きています。日々のやらなければいけない仕事や人間関係、そしてそれらを前にして悩むことなどに、私たちはとても多くの時間を費やしています。
私たち人間は必ず人生の終わりを迎えます。どれほど科学や医学が進歩しようとも、人間の死亡率は、100%です。
そして、多くの人は死ぬ瞬間に後悔をします。死の瞬間、自分にとって本当は何が大切だったかに気づき、大切なものをないがしろにしてきた、これまでの人生を悔やんで死ぬんです。
たった一度きりの人生、死ぬ瞬間に後悔しないためにこのブログの内容を覚えておきましょう。
死ぬときに確実に後悔する「3つのこと」
1. 健康に気を使いすぎる
多くの人が死ぬ時に後悔すること、それは、健康ばかりを必要に追い求めて生きたこと。健康は私たち人間の幸せの土台となるものです。ですから、 健康を追い求めることが死ぬ瞬間の後悔につながるというのは、ちょっと想像しにくいかもしれません。
ですが人生というのは残酷なものです。どれだけ健康に気を使っていても、いつか私たちは、必ず何かの病気にかかって死んでいく運命にあります。いくら健康に執着したとしても、私たちは死ぬまで健康でいることはできません。
もちろん、健康を失うとほとんどの人がもっと健康に気を使っておけばよかったと後悔します。だからといって健康に神経質すぎる生き方も窮屈です。
健康診断で、異常を指摘されたのをきっかけに生活習慣や体の改造に取り組み始めた方がいらっしゃいませんか?それはそれで素晴らしいことです。
だからといって、健康に気を使いすぎるあまり人生で本当に大切なことを見失しわないでほしいです。
築き上げた肉体を失うかもしれないという恐怖に毎日怯えて、それまで健康ばかりに気を使って他のことをないがしろにしては本末転倒です。
2.富を追い求めて金持ちになる
お金ばかりを求める人生、お金がなければ、余裕のない生活を余儀なくされてしまうのは確かです。そのためお金は、過不足なくいつでも手元にあるというのが理想的です。
お金が入ってくる時には無駄遣いをしてしまって本当にお金が必要な時にあまり収入がないそんな経験がある方も多いでしょう。よく言われる通り私たちはお金を死後の世界に持っていくことはできません。お金持ちも貧乏人も死んだら誰もが平等になるんです。
裕福なのが必ずしも幸せなわけではなく、 貧乏なのが必ずしも不幸なわけではないんです。
富を追い求めてお金ばかりを追い求めていると仮にお金を手に入れたとしても不幸な死に方をしてしまうかもしれないんです 。
3. 競争のみに走って大事なことをないがしろにする
悲しいですが、私たち人間は競争によって他人を蹴落として前に進む生き物です。
競争によって他人を出し抜けば今度は自分の方が、蹴落とされるのではないかという疑心暗鬼 に駆られて生きていかざるを得ません。そのような疑心暗鬼に駆られた人は他人に負けたくないあまり、全てを捨てて仕事に励む傾向にあります。
会社から早く帰宅するのは、負け犬だと言わんばかりに仕事は毎日遅くまでに及び家族と過ごす時間などほとんどありません。そんな風に大切なものを犠牲にしながら、がむしゃらに走り続ける人生もひとたび病気になれば、いとも簡単にポッキリと折れてしまいます。
長らく家族や友人をないがしろにしてきた人が入院するとその光景は大変孤独で悲しいものです。 職場には仲間などおらず、仕事ばかりの日々でしたから、仕事以外の人間関係もありません。長年ないがしろにしてきた家族は決して見舞いに来ることもなくあなたは病室で一人ぼっちで亡くなるんです。
死ぬときにはじめて気付く「人生で大切なこと3選」
1つ目 美容や健康はもういらない
衰えを受け止め、美容や健康はもういらないと思えることです。私たち人間は、老いを避けることはできません。
どれほど健康に気を使って、美容にお金をかけたとし ても 、老いはある時 、急速に訪れます。
恐ろしいことですが、年を取ると病気は矢継ぎ早に襲いかかってきます。
頚椎症や、腱鞘炎に悩まされ、膝関節症で歩くことも億劫になってきます。女性の方の場合であれば 更年期障害という大きな壁が立ちはだかります。
またそのような体の病気は心にも大きな影を落とします。うつ病は50代で、急速に増えると言われていてさらに60代にもなれば、認知症のリスクも高まります。
年を取ると多くの人が健康について、挫折感を覚えます。特に人並み以上にこれまで容姿に気を使ってきた人は、 鏡を見て自分が衰えているということにショックを受け、それがきっかけで引きこもってしまう人も多いです。
このように、老化の過程において私たちは実に様々なものを失います。年を取るというのは、このような喪失感の積み重ねなんです。
もしそんな喪失感をマイナスと捉えてしまえば、私たちの人生は下降線でしかありません。20代から
30代のピークを境に残りの数十年をただ、ひたすら転げ落ちていく人生となってしまいます。
このような喪失を むしろプラスに捉えられたどうでしょうか?若い頃に筋骨隆々としていて容姿端麗であることは確かに良いことだったでしょう。ですがそれはあくまで若い頃の価値観です。
年を取ったら、価値観基準そのものを変えてしまえばいいんです。若い頃持っていたものを手放して 身軽になっていくと捉える。
私たちは重たい荷物を手放すことで前に進み続けることができるんです。老いは多くのものを失う一方で若い頃には なかった多くのものを得ているということを私たちはついつい忘れがちです。私たちは、失うことで初めて衰えを受け入れるという大きな心の器を得ることができるんです。
このように考え方をシフトすれば死ぬ瞬間に向かって衰えていくことも、桜が散るのが美しいのと同じように、より前向きに 捉え直すことができるのではないでしょうか?
2つ目.夢や目標はなくていい
夢、目標がある人はそれは素晴らしいことです。そのままあなたの目指す夢や目標に向かって着実に進んでいけば良いでしょう。
もし夢や目標がない人がいても残念がることはありません。 夢は抱かなくても良い。それが死ぬ時に私たちが気づく大切なことなんです。
最近は ネットが発達したことで誰もが自分の好きなことで生きていく時代になったなんて言われています。そのせいで夢や目標に向かって努力することが過剰に美化されています。
幸福の形は人それぞれです。夢や目標に向かって、走ることだけが全ての人の幸せとは限りません。私たちは、年を取れば必ずどこかで 走り続けることができなくなります。
その時夢を追い続けてきた人は、過去の自分と今の自分を比較してしまい喪失感や虚無感に陥ってしまうんですですが 、幸せを感じるために重要なのは今を大切にすることであります。
夢に囚われ続けるんじゃなく、夢から自由になることこそが人生の最後において重要なことなんです。
3つ目 この世界に何も残さなくていい
死ぬということは、とても怖いことです。
私たちがこの世からいなくなって、私たちが見ているこの世界も同時になくなってしまうような気がします。そのため、多くの人は自分が生きた痕跡をこの世界に残そうと、もがき苦しみます。
子孫を残したとしても、いずれ私たちは忘れ去られてしまうでしょう。どんなに偉大な人でもなくなれば次第に人の話題からなくなります。私たちは、急流にさらされている小石のようなもので、ちょっとずつ削られながら、砂となり最後にはなくなってしまう運命にあるんです。
そのような人生が虚しいものであると捉えるか、美しいものだと捉えるかはあなたの心持ち次第です。
絶対に後悔しない人生を送るための「5つの生き方」
1つ目 不条理でバカバカしい運を受け入れる
人はあっけないほどに死ぬ。
若い人でさえ容赦なく人の命は次々に失われます。それを思うと私たちは相当運がいいと言えるでしょう。
なぜなら、今、健康に生きているからです。その一方で私たちの年齢に達することができずに死ぬ人は大勢います。そんな人たちには何か問題があったのでしょうか?いいえ、そうではありません。長く生きれるか、早死にするかはただただ運のみによるものです。
ところで、なぜ人は死ぬのでしょうか ?たとえ心が後ろ向きであっても、後ろを向いたまま長生きする人だっています。逆に前向きに頑張ろうとしたにも関わらず 短命の人もいます。
結局人生の答えは運なのです。
生まれ持った運がなければ、どれほど前向きに頑張ったとしても、私たち人間は長生きすることができません。もちろん生まれた環境も運の一つです。私たちが日本に生まれたというのはそもそも本当に運の良いことです。
子供が自爆テロの道具になったり、 薬漬けにされて兵士にされるような社会はまだまだ世界中のいたるところに存在するのです。そのような環境ではたとえ遺伝的に健康で丈夫な体を持っていたとしても短命に終わってしまう人が大勢いる。
私たちはそんな何の理由もなく、人生が決まってしまうような不条理すぎる運の世界に生きているんです。
結局、私たちが変えることができるのは 、私たちの受け止め方だけです。当たり前すぎることですが私たち人間の死亡率は 100%です。どれほど運がいい人であってもいつか必ず死と向き合うことになります。
だからこそ事前に死を覚悟し運の冷酷な不条理さを受け入れることが大切なんです。そしてそれらを前提に自らの人生を組み上げていけばいいんです。そうすれば 先々のことばかり考えるのではなく
与えられた日々を楽しく生きることの大切さがなおさら浮かび上がってくるでしょう。 そうやっていつ死んでもいいと思えるようになれば、まさしく充実した人生を送れているということになるのではないでしょうか?
2つ目 生きる意味を考えるのをやめる
あなたは何のために生まれてきましたか?この問いに答えがないということは、古今東西の哲学者が 必死に考えても、いまだに解決ができていないということからも明らかです。
何のために生まれてきたのかこの世に生きる意味は何なのかこれらの問いには、決して出口がないんです。ですが私たちは 、答えがないと分かっていても、なお自分の生きる意味を探してしまう動物です。そのため、にわか作りの崇高な目標を掲げて、それを差し当たっての生きる意味に仕立て上げてごまかしたりします。
人生には、自分にしか成し得ない特別なことがあるとか自分にしか成し得ない大きな目標があるなど多くの人がそういう風に信じ込むことで生きる意味などないというあまりにも残酷な真実を忘れようと必死になっているんです。
ですが、私たちが今ここに生きることには何も特別なことはありません。私たちはたまたま偶然この世に生まれただけなんです。何の意味も理由もない。人生それを虚しいと思うか楽しめるかはあなたの心持ち次第です。
3つ目 性欲を断ち切って 執着から自由になる
私たち動物にとって、性欲が満たされることは非常に大きな快楽をもたらします 。快楽につながることを行うと私たちの脳内ではドーパミンが放出されます。
平常時のドーパミンの分泌を100とした場合、美味しいものを食べた時のドーパミンの分泌量は150程度、さらにお酒は150から200、モルヒネは200程度。 そしてセックスをした時のドーパミンの分泌は200を超えます。
つまり性欲が満たされることはお酒を飲んだりモルヒネを打つよりも気持ちのいいことなんです。 こんなに気持ちの良いことに私たち動物が依存しないわけありません。このような、 性欲の虜になってしまう、それこそが執着の正体です。
異性に執着するあまりその人を憎んだことはありませんか? 憎しみもまた執着の一つです。私たちは性欲を通して自分自身の感情の暗い部分を増大させているんです。まさに人間は快楽物質の奴隷であると言えるでしょう 。このような執着を手放すためにはその根源である性欲を断ち切るしかありません。
性欲を断ち切れない限り私たちは脳が放出する化学物質に操作され続ける運命にあるのです。
4つ目 死の恐怖は消すことができる
死にたくない 健康でありたいと願う気持ちはどんな人にでもあるでしょう。ですが先ほども述べた 通り私たち人間の死亡率は100%であります。どんなにお金持ちでどんなに健康でも、死だけは避けることができないんです。
そもそも恐怖というのは生命の大事な防御機構であり死を恐れなかったら私たちはとっくに死んでいたかもしれません。
どんなに恐怖したところで死は、必ず訪れます100%です。どうせいつか来るものに対して、怯えて生きていてはせっかくの人生もったいないと思いませんか?ですからそんなことを、忘れちゃうくらいに今を精一杯生きていくことができれば死を自然と忘れることもできます。
5つ目 比較するのをやめる
私たち人間の悩みのほとんどが自分と他者を比較することによって生じるんです。お金がないことに悩むのは他人と比較して自分の持っているお金が少ないためです 。今の仕事に満足できないのも他人と比較して給与や役職が低いからです。
私たち人間は絶対的な価値観を感じることが、難しく相対的に物事を受け取るようにできています。そこから必然的に生まれるのが 比較なんです。 比較は自分を高めようとするポジティブな力のみならず他人を貶めようとする ネガティブな感情を生み出してしまいます。
そのため比較は自分のみにならず他者をも 不幸に陥れてしまうんです。皆さんは大切な人生の残り時間を他人との比較にばかり費やしていませんか?ですが死ぬ瞬間は皆平等です。どれだけ比較をして他人を蹴落として這い上がっていたとしても死ぬ瞬間には何の意味もなくなってしまうんです。
比較などせず自分自身の人生を精一杯生きるそのような生き方こそが結果的に生きていて良かったと死ぬ瞬間に心から思える人生となるのです。
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