「頭がいい」って、どういうことだろう?
職場に、ひとりの事務の女性がいます。
もう何年も同じ場所で働き続けていて、学歴こそ高くはないそうだけど、とにかく仕事ができる人。
請求業務や資料作成、細かな管理にいたるまで、彼女に聞けばたいていのことは解決する。
正直、現場の誰よりも頼りにされています。
頼れる人ほど、抱え込みすぎる現実
ある日、そんな彼女がぽろっと言ったんです。
「正直、仕事を任されすぎてしんどい」って。
毎月の請求時期なんて、夜遅くまでひとりで残って作業している姿を、当直中の私はよく見かけます。
心の底から「頭が下がる」って、ああいう時に使う言葉なんだなって思います。
「仕事、振ればいいのに」と私が言っても、
「他の人に任せたらミスが出るから、自分でやるしかないの」って。
責任感があるがゆえに、自分を追い込んでしまう。
でもそれって、本当に“頭がいい”ってことなんだろうか?と、ふと思ったんです。
要領よく生きる人は、本当に「ズルい」のか?
彼女と同じ年で、もうひとりの女性がいます。
こちらは高学歴。数年前に結婚していて、「仕事終わったら旦那さんに甘えるのが何よりの幸せ〜」と、にこにこ話してくれるような人です。
その彼女のことを、前出の事務の女性がときどき愚痴ります。
「定時2分前にはもう帰る準備してるのよ」
「仕事も遅いし、“できませ〜ん”ってお花畑みたいな顔して…」
「同じ給料って、なんなのって思うよ」
確かに、理不尽に感じることもあります。
でも、一歩引いて見ると、要領よく「できません」と言いながら責任を回避し、うまく人に頼って、ストレス少なく人生を楽しんでいる人の方が“賢く”見える瞬間もあるんです。
不思議ですよね。
一番仕事ができる人が、報われない。
でも、要領よく立ち回る人が出世してたりする。
実際、上司だって「人を動かすのが上手なタイプ」が多かったりするし…。
「できる人」が報われない社会はおかしい
「よーいドン」で同じ条件で仕事を始めたら、事務の彼女の方が絶対に早くて、正確です。
でも、そういう人が必ずしも評価されるわけじゃない。
それでも、頑張りすぎる彼女の姿を見るたびに、私は思うんです。
どうか、倒れないでほしい。
頑張っている人が、ちゃんと報われてほしい。
それと同時に、思うことがもう一つ。
彼女はどうして結婚しなかったのかな?
もちろん、人生の選択に正解はないし、本人なりの理由があるのだろうけれど、なんだかそれもまた、不思議で切ない。
「仕事ができる」ことと、「人生をうまく生きる」こと
この2つは、似ているようでまったく違う。
でも、どちらも大事で、どちらも報われてほしい。
頑張っている人が損をしない社会。
要領の良さだけじゃなく、誠実さや努力が、きちんと評価される場所。
そんな働き方が、もっと広がっていってほしいなと思うのです。
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